転職、それはビジネス契約活動である
■ 記事作成日 2015/6/8 ■ 最終更新日 2017/12/6
あなたが意を決して「退局」「退職」を決め、転職活動をはじめたとしましょう。敢えて不安を煽るような言い方をしますが、退局の決心という大きな山場を越えたからといって、その先に、決して平坦な道のりが続く訳ではありません。一難去ってまた一難という具合に、大きな岐路や壁などが、次々と出現してくるのです。
それらの一つに「契約」という名前の山場があります。
医局での勤務経験しかないドクターは、どんなに優秀な医療従事者だとしても、ビジネス社会での契約経験は「皆無」に近いケースが殆どでしょう。大学卒業後に法人営業として勤務してきた人が「ビジネスマンとして一人前」になった年齢でも、医師のそれは、まだ「新入社員レベル」だと自覚した方が無難です。
転職活動の前に再認識したいのは、「転職活動は、ビジネス契約活動である」という事実です。
本来、ビジネス契約活動に不慣れな医師たちのために、「転職エージェント」という役割がある訳なのですが、残念ながら、全てのエージェントが善良かつプロフェッショナルという訳ではありません。
更に医師紹介会社利用率は高まる可能性
医師の皆様なら御存知の通り、2004年の医師臨床研修制度におけるマッチング・システムの煽りを受ける形で、歴史的に各大学が慣習的に担ってきた医師派遣制度の弱体化を補完すべく、自治体などが率先して各々の地元医療機関への医師紹介機能(地域医療センター等)を持つようになってきています。
しかしながら、バックグラウンドの確かな医師を雇うことができるというメリットが有る反面、スピーディーな対応に事欠いていたり、地域ネットワーク特有の「しがらみ」を医師サイドが嫌ったりといったデメリットが目立ち、上手く機能しているとは言い難い状況です。
それを補完する形で現れた医師紹介会社ですが、現在はこちらのほうが主流となりつつある傾向にあります。双方は、一般サラリーマンにおける「ハローワーク」と、凄腕ヘッドハンターなどが所属する「民間転職支援会社」との関係にも似ています。
「医師転職の成功のためには、くれぐれもクズ会社とは組まない事が重要だ。」
当方、野村龍一が、医療転職支援コンサルタントの使命として繰り返しこう訴求している所以は、上述の残念な真実が横行しているからに他ならないのです。
実際、善良な転職エージェントや、敏腕コンサルタントに出逢えなかった医師たちが、大きなトラブルに陥っているケースは枚挙にいとまがありません。
医師の転職活動における主たる契約シーンは3つです。
【1】現職を離職する時の「契約」
【2】転職エージェントに依頼する時の「契約」
【3】転職先へ入職する時の「契約」
あなたがもし、一つでも無知な契約、不本意な契約を結んでしまったら、あなたの転職活動は崩落への一途を辿る危険性があります。
優秀な医師が、ビジネス契約という不慣れなシーンで失敗しないように…これら3つの契約ポイントでの注意点を、実際に起こったトラブル事例などと共に見ていく事にしましょう。
【1】現職を離職する時の「契約」
病医院をはじめとする各種医療法人などは、就業中の医師対して「雇用契約書(労働契約書)」や「就業規則」によって規律することが出来ますが、退職した医師にはそれらを適用する事ができません。
そこで、「秘密保持義務」や「競業避止義務」などを課すために、退職する医師に対して、事前に契約書や誓約書といった書面を取り交わそうとする事があります。
「秘密保持義務」とは…
退職した医師が、就業中に知り得た病医院の機密情報(病医院運営や技術などに関するノウハウ・ネットワークや、個人情報など)を、病医院外に持ち出さない事を誓約させ、離職後2~5年程度(判例などから導き出される一般的な秘密保持期間の限界)を限度として期間を定め、秘密漏洩時の損害賠償義務を定めるものです。
※秘密保持義務は、医師に対して倫理的にも法的にも課されている、患者の権利を守るための守秘義務とは別ものです。
「競業避止義務」とは…
退職した医師が、就業中に得た技術やノウハウ・ネットワークなどを利用して、前職の病医院の競業となり、営業妨害をしないように、地域や期間を限定した上で、競業避止義務を課せるように定めるものです。離職した病医院のすぐ傍で開業されて患者を根こそぎ持って行かれたり、同じ商圏内のライバル病医院のエースドクターになられたり、病医院が独自に持つ突出した医療経営・臨床・手術等のノウハウを使って不当に利益を上げられたりしないようにするための一手です。
上述を読まれたドクターは、「何なんだ、これは!?これでは転職できないではないか?」…と、思われたかもしれません。「退職をするには、勤務中の病医院の言いなりにならないといけないのか?」…と。
しかしご安心下さい…その答えは「NO」です。
当該医師が退職する病医院などは、合理的かつ客観的な事実に基づいた事象にしか、秘密保持義務・競業避止義務を負わせる事はできません。退職する医師に不利益が生じないように、法律でも様々な規定が示されています。
もしも「秘密保持義務」や「競業避止義務」の不履行に対して要件を充足すれば、転職前に勤務していた病医院などは、退職した医師に対して、不正競争防止法を根拠とする差止め(同法3条1項)、損害賠償(同法4条)、信用回復の措置(同法7条)等をとることもできます。
退職時の契約(誓約)は、それだけ大きな威力を持つものですから、その契約(誓約)は、限定的で具体的なものでなければ、有効性はないと判断されるのが一般的です。
「秘密保持義務の誓約(契約)」について
退職する医師が勤務していた病医院等が、秘密保持義務の誓約を発効しようするならば、その対象は、極めて具体的かつ限定的でなければなりません。それは…
1:秘密として綿密に管理されている情報
ex.「秘」「confidential」等と表示されている資料
ex.パスワードがかかっているデータベースやファイル
ex.閲覧者が制限されている資料やデータ
ex.入室者が制限された場所にある各種情報
ex.医師法や個人情報保護法等で定めらえた、離職等に関係なく遵守の義務を負う絶対事項
※秘密として管理されていない情報は、原則含まれません。
2:秘密として有用性が認められる情報
その秘密によって離職者が不当に利益を得たり、勤務元が不当に不利益を得る危険性のあるもの。
3:公然に知られていない情報
4:就業前や就業関連以外で知り得た情報は除く
上記の条件に合致し、尚且つ秘密保持義務の誓約(契約)書に個別具体的に列挙された情報のみが、その効力の対象となります。何でも一切合財「機密」とされる訳ではありません。
「競業避止義務の誓約(契約)」について
全ての人は元来、憲法の下に「職業の自由」が保障されています。退職する医師が勤務していた病医院等が、競業避止義務の誓約を発効しようするならば、その対象は、極めて具体的かつ限定的でなければなりません。「競業避止義務」は、退職者の職業選択の自由を制約することになってしまうからです。
よって、競業の禁止の範囲を…
1:職種や業種
2:地域
3:期間
…などが、具体的かつ限定的に示されている必要があります。これらが極めて客観的に合理的な範囲でなければ、競業避止義務規定が公序良俗違反(民法90条)として無効となる可能性が高いと考えられます。
医師の場合、医師業務自体・専門医自体を禁止することは不利益が余りに大きく、合理的とは言えません。ですから、職業や業種=医師業務や専門医業務を禁止される事は有り得ません。
たとえば、退職する医師が、前職病医院の目と鼻の先で退職直後に開業をしたり、前職での患者を積極的に転職先病医院に勧誘したり、前職での看護師を恣意的に引き抜いたりした場合などは、競業避止義務に違反すると見なされる事もあるでしょう。
しかしながら、当該医師が退職後に選ぶ働き方も、患者が自らドクターを選択して転院する事も、看護師が自ら転職を希望する事も、憲法の下に、全くの自由です。
よって、就業中(特に就業時間内)に、その立場を利用した転職後の活動準備を行っていたり、明らかに退職する病医院での勤務経験を利用した営業行為などでない限り、当該医師が退職後に選択する働き方は、競業避止義務にはあたらないと考えられています。
地域について限定的だと考えられるのは、地方では最大でも市町村単位、大都市では最寄駅単位程度であるのが一般的です。もちろん、その市場の状況によって異なるため、個別具体的に双方で検討する事が重要です。
期間について限定的だと考えられるのは、最大でも一年程度であるのが一般的です。尚、同じ市場で当該医師が開業する場合は、一年程度の競業避止義務が課せられる事が合理的と見なされるケースもあるようですが、別の病医院で働く事については、そう見なされないケースが多いようです。
競業避止義務と言われれば、身動きがとれなくなってしまう印象を受けてしまいがちですが、退職する病医院から不当な要求がないかチェックし、社会人としての常識を心得て行動していれば、大きなトラブルを避ける事ができるでしょう。
誓約(契約)は拒否できるのか?
実は、退職希望者が勤務元から「秘密保持義務の誓約(契約)」や「競業避止義務の誓約(契約)」を求められた場合でも、必ずそれに署名しなければならないという法的義務はありません。仮に就業時に交わした雇用契約書(労働契約書)などで、退職時に秘密保持契約義務等の誓約をする事が定められていたとしても、雇用契約書は離職時に効力を失いますので、何ら法的に咎められる根拠にはなりません。
しかし一方では、要件に充足する労働者に対し、退職後も一定の期間と限定的な内容において、「秘密保持義務」や「競業避止義務」が課せられているのも事実です。
また、当該医師が退職前の就業中である事を逆手に取り、雇用契約書(労働契約書)や就業規則と照会して要件が整った場合、「秘密保持義務」や「競業避止義務」違反として、病医院側が医師に対する損害賠償請求を行う事も、法的には可能でしょう。
よって合理的な理由もなく、勤務医が退職時に「秘密保持契約義務や競業避止義務に誓約しない」と頑なに突っぱねている状況は、転職活動をしようとしているドクターそのものに、不利益をもたらす状況を、自ら誘発する要因になるかもしれません。
もしも提示された「誓約(契約)書」が、至極一般的で合理的な範囲のものであった場合…「こんな常識的な事にも署名ができない医師とは、どんな人間性なのか?」「何か疾しい事でもあるのではないか?」「何か善からぬ事を企てているのではないか?」…そんな風に勘ぐられてしまっては、縦横無尽に繋がっている医療業界において、あなたの前途の雲行きが、怪しくなってしまう事も容易に想像できます。
悪い噂が立つことは、医師の人生にとって、一分の得にもなりません。
前述で示してきたチェックポイントを確認し、必要な条文を盛り込んだものであれば、署名を恐れる必要はありませんし。むしろ、自身の保身に繋がる事さえあるのです。
退職後の医師に対する秘密保持義務・競業避止義務の有効性は、病医院側の情報管理の合理性・必要性・重要性と、医師の職業選択の自由が衝突する場面であり、明快な線引きはありません。その有効性については、裁判例上も慎重な判断が求められているようです。
もしあなたが「秘密保持義務」「競業避止義務」の誓約(契約)を行う場合、このコラムと照会して疑問点や懐疑点があるならば、サインをするまえにぜひ、法律の専門家に相談して下さい。簡単な相談ならば、「弁護士ドットコム」などのネット無料相談サービスを活用してみるのも有用でしょう。
【2】転職エージェントに依頼する時の「契約」
最近の医師の転職は、主にインターネットを窓口とした「転職エージェント」を利用する事が、最も一般的だと言えるでしょう。
・希望の条件に合う求人を探してくれる。
・求人元との折衝を全て行ってくれる。
・退職についても知恵を貸してくれる。
・そんなあらゆるサポートを、無料でしてくれる。
転職エージェントは、忙しい医師に代わって多様な事をサポートしてくれるので、勤務しながら転職活動を行うには、好都合だという訳です。
そんな中、転職活動をしている医師から、こんな相談を受けた事があります。
「転職エージェントさんが、事前に専属契約を交さない限り、求人情報を紹介できない…と言ってきました。」
「もしも専属契約に違反をしたら、損害賠償の対象になるので注意して下さい…と言ってきました。」
「就職してから3か月以内に辞めた場合は、損害賠償の対象になるので注意して下さい…と言われました。」
当方、野村龍一が、医師転職支援コンサルタントの立場で言わせてもらうと…そんな転職エージェントは、「クズ会社」に他なりません。一刀両断でさっさと絶縁し、優良転職エージェントとお付き合いする事を強くお勧めします。
ここでは、理不尽な事を並べ立てる、劣悪な転職エージェントに呑みこまれないためのポイントを見てみましょう。
転職エージェントの専属契約とは?
転職エージェントとの「専属契約」とは、その会社が自社の身勝手な都合で要求している、一方的なローカルルールに過ぎません。法律で義務付けられている訳でも、業界の慣例となっている訳でもないのです。
ほぼ全ての転職エージェントは、成功報酬型のビジネスモデルをとっています。医師の転職が決まってから初めて報酬が発生するため、優秀な人材を囲い、自社の利益に繋げようと画策しているだけなのです。
このような「専属契約」は、転職活動をする医師の利益を大きく損ねる原因となるため、契約を強要するような悪質な会社は、関係当局からの注意・指導の対象になる可能性が高いと考えられます。
実際、医師に専属契約を要求するサービスは、業界の標準的な価値観とは異なります。転職エージェントがその医師の転職をビジネス化したいならば、契約で縛るよりも、個として向き合い、人間関係の中で信頼を勝ち得る方が有用なのですから。
従って、もしもあなたが「専属契約」をもちかけられた場合は、その段階で強く断り、転職エージェントを鞍替えする事が一番の解決策です。専属契約の内容について吟味したり、相手方と折衝しようとしたり、法律相談にまで行くような事は、時間と労力の無駄です。優良な転職エージェントは、他にもたくさんあるのですから。
また、転職エージェントの方に「専属契約に違反をしたあなたには、私たちがあなたの就業支援のために稼働した労力を、損害賠償として支払ってもらいます。」と言われたとしても、気にする事はありません。そもそも「専属契約」自体の成立自体が認められる可能性が極めて少ないものです。
転職エージェントが理不尽な事をしつこく言ってきた場合は、すぐさま所轄の労働基準監督署や、警察署などに相談して下さい。
「損害賠償を支払われなければ、とんでもない事になる」…と言うような転職エージェントは、脅迫というような言葉が飛び交うような、法に抵触している可能性さえあるのですから。
内定後・就職後に辞退や退職をしたら…
転職活動の内定後に、現職の病医院から引き止められたり、もっと良い条件の転職先が見つかったなどという理由で、内定辞退をせざるを得ない場合もあるでしょう。
採用の内定は、「始期付解約権留保付労働契約」が結ばれているとみなされます。これは、内定承諾書等を提出する前の、口頭での受諾でも有効だと考えられています。
ある意味での労働契約が認められる状態であるため、民法627条1項にて「雇用期間に定めの無い場合、辞職意思表示をした2週間後に退職の効力が生じる」とされている事から、最低でも2週間以上前に申し出る事が求められるのが通念です。
そのため、辞退を申し出た時期によっては、入職のために病医院側が新しく特別に準備したもの…たとえば採寸して作った制服、当該医師のために購入したデスク、リフォームした院長室などがあれば、その算出方法が合理的な場合、実費請求を受ける事もあるでしょう。
しかし、そんな場合でも、転職エージェントに対して医師サイドに「損害賠償義務」などが発生する事は、考えにくい事です。
転職エージェントは、医師が採用されて初めて報酬を得る事ができる訳ですから、当然ながら就職を薦めるでしょう。
また、就職後に一定期間の勤務を求めるのは、医師が一定期間以上勤務しなければ、転職させた病医院から報酬を受け取れなかったり、報酬を返金しなければならないからです。
あの手この手を使って、何とか医師を就職させよう、一定期間就業させようと考えるあまりに、「損害賠償」という言葉をチラつかせる転職エージェントも発生しているようですが、医師が意図的に法に抵触するような事をしていない場合、損害賠償が認められる事はまず無いと考えられますし、正常な転職エージェントならば、「損賠賠償」と口走ること自体、考えにくい事です。
したがって、もしも転職エージェントから「損害賠償」という言葉が出てきた場合、「所轄の労働基準監督署や警察署などに、然るべき相談をする」旨を、しっかりと意思表示して下さい。ほとんどのケースで、それ以上の追求はなくなるはずです。それでもしつこく追及があったならば、実際に然るべき相談のために、行動を起こしてください。
転職エージェントが求職者に損害賠償を請求できる要件が整うケースは、一般的な状況では、起こりにくい事です。
可能性論で脅し文句に乗せられ、不本意な転職や就業に陥らないためにも、転職エージェントが不当な要求をしてきた時点で、絶縁に向けてアクションを起こす事が大切です。
【3】転職先へ入職する時の「契約」
私のところに相談に来られた、ある医師のお話をしましょう。
東京の大病院の勤務医であった彼は、奥様の希望…「私の地元の福岡で暮らしたい。」…を叶えるために、転職エージェントを活用して、希望の条件にピッタリと合い、高給が得られる病院に転職する事ができました。
しかし7年ほど後、残念ながら奥様との離婚が決まったため、彼の地元である東京の病院に再転職しようと考え、退職の意志を病院に伝えたところ…
「入職時の雇用契約書(労働契約書)に、病気や怪我や天変地異などの不測の事態ではない限り、定年まで勤め上げる終身雇用契約となっているため、離職は認められない。」…と、返って来たそうです。
彼は、現職の病院自体に不満があった訳ではありません。しかし、不本意な離婚で傷心しきっているために、奥様との思い出が詰まった福岡の地には、これ以上住みたくないと強く願っていたのです。「安易に転職ができないかもしれない…」この状況は、彼を大きく落胆させていました。
しかし不可解なのは、彼自身は終身雇用契約を結んだ覚えがないという事。
かつて利用した転職エージェントに問い合わせてみたところ、「担当が退職しているので詳しい事はわからないが、当時の業務日報や契約書などの履歴を確認してみると、希望の勤務時間・希望の高給を保障する代わりに、終身雇用契約が入っており、その旨は本人にも説明し、合意の上で雇用契約を結んでいるはずだ。」という事でした。
確かに彼の年棒は、東京標準で見ても高給と言われる水準でしたが、彼はいわゆる優秀な医師で、彼自身は自らのスキルで得られている条件だと認識していたのです。
実際には、法律上に「終身雇用契約」というものはなく、終身雇用と認識されている状態は、「期間の定めのない雇用契約」という事になるため、どんなに病院側が彼のサイン付き労働契約書(雇用契約書)を根拠にしても、然るべき時期に然るべき手順を踏めば、離職できないという訳ではありません。
しかしながら病院側は、「終身雇用契約を条件に、現在の年棒を支払っていたのだから、離職する場合は、その差額分は返還すべきではないか?」と主張をしているそうです。
現在彼は、法律の専門家に相談し、事態の確認と収拾に努めようとしていますが、仮にも病院側の主張に一定の合理性が認められた場合は、差額分と主張される金額の一部を返還したり、退職金の一部を減額される可能性はあるでしょう。
病院側の主張が100%通るとは到底思えませんが、不用意な契約を結んでさえいなければ、こんな面倒なトラブルに陥る事はなかったはずです。
聞けば、この雇用契約書は、転職エージェントが雛形を作り、病院側がそれを採用したと言うものでした。
当時その病院では、優秀な医師の離職が問題となっており、優秀な人材は、高い年棒を支払ってでも、確保しておく事が命題となっていたそうです。
彼が転職したのは、インターネットでの医師向け転職エージェントが一般化してきた時期でしたから、多くの病院が環境の変化に身構え、人材の流出に神経を使っていた時期と重なります。
彼が記憶を辿ってみると…「事前に転職エージェント側から渡された雇用契約書の雛形にはしっかりと目を通したが、実際に病院の応接室でサイン押印したのは、病院が用意した用紙であり、その場で熟読する事はなかった。」という事です。
今となって事の真相を究明する事は困難かもしれませんが、もしも彼が、サイン押印するその用紙を再度熟読し、不明点の確認や法務チェックを行っていれば、このような事態を避ける事はできたはずです。
穿った見方をすれば、高給を得たい医師と、優秀な人材を確保したい病院側双方に納得させるため、転職コンサルタントが恣意的に画策した可能性も捨てきれません。もしその読みが事実だとすれば、言語道断な話です。
このようなトラブル・アクシデントを未然に防ぐには、医師本人が契約をする際、正しい知識を持って対峙するしかないのです。
雇用契約書(労働契約書)の確認ポイント!
あなたが「雇用契約書(労働契約書)」にサインする時には、
以下の3つのシーンで、充分な注意を払ってください。
・雇用契約書(労働契約書)の内容の確認
・雇用契約書に押印サインする際の状況確認
・雇用契約書の自己保管分の受領確認
これらのシーンでポイントさえ確認しておけば、大きなトラブルを回避する事はできるでしょう。
「雇用契約書(労働契約書)」とは本来、労働者の権利を守るツールとして機能する役割を担っています。医師自らがしっかりと契約内容を掌握する事は、医師自身の利益にも直結するのです。
それでは、各々のポイントを確認していく事にしましょう。
・雇用契約書(労働契約書)の内容の確認
使用者(病医院)は労働基準法によって、賃金や労働時間などに関わる事項を、労働者(医師)に文書で明示することが義務付けられています。その方法として、多くのケースで「雇用契約書(労働契約書)」が採用されています。
入職した後に、「事前に聞いていた条件と違う…こんな筈じゃなかった…」という窮地に陥らないように、しっかりと各条項を確認しましょう。
1:雇用契約期間の有無や労働契約の開始日など。
(入職日など)
(雇用期間に定めがある場合は更新の有無も)
2:就業場所ならびに従事する業務内容。
(役職や転院の有無などについても)
3:始業・終業時刻や休憩時間・所定休日・有給休暇等。
(交替勤務の場合は就業時転換に関する事項も)
4:所定労働時間を超える労働の有無。
(当直・オンコールなどの有無も含めて)
5:賃金の決定・計算・支払方法ならびに締切日と支払日。
(賞与の有無や時期についても)
6:退職に関する事項。
(手続き方法や退職金規定など)
7:解雇事由に相当する具体的な事柄
(不当な理由で解雇されないために、具体的明記が必要)
これら7項目全ての内容で納得し、双方合意を得たものにしか、押印・サインをしてはなりません。少しでも疑問に思う事、曖昧な事があるならば、一つ一つ丁寧にやりとりし、確認していきましょう。
もしもあなたの転職を、優良な転職エージェントの優秀なコンサルタントがサポートしてくれる場合は…あなたに不利益がおきないよう、コンサルタントが綿密に病医院と折衝を重ねた上、エージェントの法務部門が雇用契約書をチェックし、万全の状態でサインをする事ができるでしょう。
しかし残念ながら、全ての転職エージェントが優良で、全てのコンサルタントが優秀な訳ではありません。
転職エージェントを介しても「不安」が残る場合は、自ら法務チェックを推進して下さい。
簡単な相談や確認であれば、「弁護士ドットコム」などのネット無料相談サービスを利用するのも有用でしょう。
http://www.bengo4.com/
しっかりと対面で、しかも無料で相談したい場合は、厚生労働省の労働基準監督署が各都道府県に設けている「総合労働相談コーナー」に、雇用契約書(労働契約書)の雛形を持参し、確認してもらう事もできます。必要に応じて関連機関の連携も行ってくれるため、法的根拠に基づいた安心を担保できるでしょう。
http://www.mhlw.go.jp/general/seido/chihou/kaiketu/soudan.html
もちろん、弁護士や司法書士に依頼をする事も有用です。関連士業に友人がいる方や、依頼原資のある方は、その道のプロフェッショナルの手で、法務チェックを遂行しても良いでしょう。
元来、転職エージェントは、このような契約事項を万全にするために機能すべきサービスです。あるべき姿は、契約書周りの全ての折衝・段取り・法務チェックなどを、転職エージェントがプロとして提供してくれる事です。
もしもあなたが、それらが万全でない残念な状況に直面してしまった場合は…不可解で困惑する入職を避けるために、自ら行動を起こし、自己による内容掌握・最終確認を遂行して下さい。雇用契約書(労働契約書)は、あくまで医師本人と病医院の直接契約です。後になって使えない転職エージェントの責任を追及しても、何の解決にもなりません。
「良い転職活動は、転職エージェント選択時に決まっている」…と言っても過言ではありません。全ての医師が優良エージェントと手を組み、良い転職活動ができる事を、強く願っています。
・雇用契約書に押印サインする際の状況確認
雇用契約書(労働契約書)に押印やサインをする際は、必ずその原本(押印・サインする実物の用紙)の内容を確認して下さい。雛形の状態で確認した別紙と原本の内容は、必ずしも一致しているとは限りません。雛形初見後の折衝で変更になった内容が、何らかの更新ミスで反映されていない事もあるでしょう。残念ながら、悪質な内容操作が行われる危険性さえあるのです。トラブルを回避するためにも、必ず自分の目で、原本自体を確認して下さい。
また、押印・サインする原本に、「割印」や「契印」がある事を、必ず確認して下さい。
「割印」とは…
同じ内容で複数の契約書を作成した場合に(甲乙双方で一通ずつ所持する際は2通作成する)が、それらの文書が関連し同一のものである事を証明するために、複数の書類に渡った状態で陰影を押印するものです。たとえば契約書を2通作成した場合、3通目以降の契約書が存在しないことの確認や、複製防止としての機能を果たしています
「契印」とは…
契約書が2枚以上にわたる場合に、その文書が一連一体の契約書であることを証明し、作為的な差し替えや抜き取り等を防止するために、各ページの綴じ目や継ぎ目に押印するものです。
雇用契約書(労働契約書)とは、契約者の権利と義務を証明するものであり、契約者に法的責任が発生するものです。不用意なミスや悪質なトラブルに陥らないために、しっかりと防止策の確認を行ってください。
また、契約書には、「契約印」を押す際に、「署名捺印」・「記名押印」などとその指示が記載されています。
「署名捺印」とは…
住所や氏名などを手書きで署名記載し、契約印を押す事です。
「記名押印」とは…
住所や氏名などをゴム印やパソコン入力などで記したものに、契約印を押す事です。
因みに「署名捺印」と「記名押印」のうち、より法的証拠能力が高いのは「署名捺印」だとされています。自ら納得した所定の書式仕様に沿って、しっかりと契約されて下さい。
「契約印」については、より正式な契約文書として成立させるために、印鑑証明書を添付できる、「実印(医師)」・「法務局届け出印(病医院)」にて締結する事が望ましいと考えます。
三文判や角印(法人における三文判扱いの印鑑)で済ませるケースもあるようですが、状況に応じてしっかり見極め、より法的根拠を確立できるものにした方が良いでしょう。
・雇用契約書の自己保管分の受領確認
雇用契約書(労働契約書)は、必ず2通作成し、医師自身と病医院側が一通ずつ保有すべきものです。
しかしながら、本来医師本人が管理すべき分の一通を、入職時までに受領できていない事も往々にしてあるようです。
病医院側が押印する「法務局届け出印」は、いわゆる公式な代表印であるため、一担当が自分の裁量で押せるものではありません。責任者に内容を照会して押印してもらう必要があるため、医師側の押印と、病医院側の押印を、同時刻に現場で実行する事は難しい事も多いでしょう。
医師側が押印した原本を、転職エージェントのコンサルタントや、病医院側の採用担当に預ける事で、病院側の押印を済ませ、後日に然るべき一通が届けられるケースが一般的なのかもしれません。
しかしこの「後日」というのが、トラブルの素になっているのです。
忙しい採用担当や転職エージェントが失念し、医師側に契約書原本を渡しそびれるほかに、作為的に渡さない悪質なケースも考えられるのです。
必ず入職日より前に、医師側が自ら保管する分の「雇用契約書(労働契約書)」は、病院側の押印を済ませた状態で、必ず受領して下さい。
転職エージェントのコンサルタントや、病医院側が忘れている場合は、自ら「雇用契約書(労働契約書)をお渡しください」と、しっかりと確実に、必ず確認をとって下さい。
対応が遅延している場合は、「雇用契約書を受領しないと、入職する事はできません。」とはっきり伝えて下さい。その際、医師側は、有事の際に契約書を受領していない事を証明するものがないため、電話録音・メール・文書等で対応し、やりとりの履歴が残るようにしておくのがベターでしょう。
もしも転職エージェントや病医院側に不誠実な対応が続く場合は、入職拒否の検討も必要になってくるでしょう。
このようなトラブルも、そもそも優良な転職エージェントと組み、優秀なコンサルタントが担当していれば、決して起こり得ない事です。
繰り返しますが、医師転職の成功の岐路は、転職エージェントの選択時にあります。全ての医師がトラブルに陥らず、幸せな転職を実現できるよう、善良で優秀なパートナーを選択される事を、心から願っています。
契約は本来、安心と成功のためにある!
【1】現職を離職する時の「契約」
【2】転職エージェントに依頼する時の「契約」
【3】転職先へ入職する時の「契約」
医師の転職における契約のシーンは、思いの他多岐に渡っています。特に医師業は、いわゆるゴールドライセンシー業務であるため、その社会的責任は、一般の雇用契約などに比べ、実質的に重いものになると言わざるを得ないでしょう。
しかし、「契約」を怖がる必要はありません。
正しい手数を踏み、双方納得した条項に法的効力を持たせることは、医師であるあなた自身の権利を守り、安心して働くための礎になるものです。
上述各章に示されているポイントさえ確認しておけば、トラブルを防ぎ、契約を安心と成功の材料に変える事はできるのです。
尚、各種契約に関する法的な解釈には、おおまかな指針はあるものの、全てが個別具体的に検討されるべきものです。
このコラムで示した内容は一つの指針であり、全てのケースで摘要される事を保障するものではありません。
あなたの転職活動において疑義が生じた場合は、速やかに関係当局や弁護士・司法書士などに相談されて下さい。
もっとも、トラブルやアクシデントを防ぐ「転ばぬ先の杖」は、善良で優秀な転職エージェント選びから始まります。幸せな転職・成功のために、この事実をぜひ、覚えておいてください。
この記事を書いた人
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